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故きを温ね(5)蕗谷虹児記念館in新発田

2012年6月17日(日)。父の日。

夫も父も放って、私は新発田にいました。
夫のほうは、娘ふたりでなんとかしてくれることでしょうが、父には本日着でパジャマを手配したきり。
親不孝な娘でございます。

新発田へは、藍生の全国大会のために参りました。
当初17日は、福島潟へ行くつもりでいました。
が、急遽予定変更して、やって来たのは市内の蕗谷虹児記念館です。

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図書館の四角いビルの裏手に、変わった形の建物が見えます。それが目指す記念館でした。
瀟洒な扉を押すと「花嫁人形」のメロディが流れています。

三三九度の盃を手にする「花嫁」の絵が、入口すぐに掛かっていました。
切手にもなった有名な絵ですが、原画で見るとまるで違った印象です。
ポスターカラーでぺったり彩色されたイメージを抱いていましたが、絹布に繊細に色を重ねて仕上げられた、細密なものでした。
右目が少し腫れぼったく見えますが、伏せたまつげの先端に涙が一雫……。
虫眼鏡を手に、ぐぐーっと寄らなければ見えないほどの、かそけき雫でした。

この花嫁のモデルは、虹児が13歳のときに29歳で亡くなった実母なのだそうです。
絵を描いたとき、虹児は70歳。
ちなみに「花嫁人形」の詩を書いたのは25歳のとき。
虹児は生涯、母の面影を追っていたのかもしれません。

17歳のときに下宿先の人妻と問題を起こしたり、最初の妻と別れて娶った二度目の妻が自身の半分くらいの年齢だったり、まさに『源氏物語』の世界だと思いました。

私は女の身ゆえ、顕れ方は異なりますが、母に死なれることの痛さはわかります。
そういえば、例年6月のこの時期に開かれる全国大会へ参加するときには、かつては1日早く出て実家に寄ったものでした。

あるときは韜晦気味の母が「病人と呆け老人の住む家」などと言うものですから、

  老いてゆき青水無月を病みてゆき  正子

と詠んだこともありました。

そうなのです。
まったく予測していなかったことですが、私も母恋モードに陥ってしまったのでした。
今日感じ取ったものと波長を合わせると、いわゆる吟行句にはなりません。
まずいなあ。
なぜならこのあとの句会には、まさに吟行句が並ぶことになるに違いありませんから。

  振り向かず青水無月の夢の母   正子

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虹児はアール・ヌーボー調のペン画もたくさん遺したそうです。ペン画の絵はがきばかりを購入する私に、対応してくださった女性が、
「9月にはペン画ばかりの展示会をするのですよ。どうぞお越しください」と。

それもいいかもしれない。                
                                        (髙田正子)


                        ♪
                        ♪

by shinyurikara | 2012-06-22 00:26 | 故きを温ね  

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