カテゴリ:故きを温ね( 22 )

 

故きを温ね(12)亀岡八幡

10月18日(木)、朝までの雨は出かけるころにはあがりました。
でもまだ限りなくあやしい空模様なので、
携帯用ではなく、さっとさせる長い傘を持っていくことにしました。

日傘もそうですが、畳んであると、ちょっとだからまあいいか、とすぐに横着をする私です。
すっかり色黒になってしまったのは、そのせいかどのせいか……。

待ち合わせの市ヶ谷駅には、遅くもなく、早過ぎもせず到着。
既にお一人お待ちです。

今日の目的地亀岡八幡は、駅を西側に出て北へ。神田川を渡ってすぐのところです。
ここは、今年22周年となった藍生が、なんと1周年を迎えたころに、連衆が寄った場所のようです。
『廣重江戸名所吟行』(小学館)の該当ページに、

  郁子あをき一周年を禱りけり  杏子

という主宰の1句を見つけました。
「初々しいころ」と言ったら、「いや、猛々しいだろ」とどなたかが。
当時の私は大阪暮らし。
今では21歳になってしまった長女も、まだふにゃふにゃしていました。
猛々しい(?)ご一行とは縁無く過ごした日々でした。

急坂を上がらねば御利益は期待できないものなのか、ここの八幡さまの階段も短いながらなかなかです。
途中左手に小さなお稲荷さま。「茶の木稲荷」とは佳き名前です。

  茶の咲いて茶の木稲荷に続く坂   正子

八幡さまには狛犬さんが2対いました。最初に出迎えてくれたのがこちら。

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さっきまで帽子を被っていたようだ、とか、赤塚不二夫のキャラみたいだ、とかみんな好き放題に。
ふと足元を見ると、桜紅葉の落葉。

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仰ぐと他はまだ青々しているのですが、やはり秋も終わりにさしかかっているのです。
ご本殿の前には、一叢薄。

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  金色の雨あがりたり薄の穂   正子

20年前のご一行は、御濠端を四谷のほうへ吟行して行ったようですが、私たちはずっとここで、湧いて出る蚊を払って過ごしました。
温暖化時代の秋の蚊は、それこそ猛々しいのですが、さすがに晩秋ともなると魂が抜けかかっています。

  刺されたり影のやうなる秋の蚊に   正子

でも油断は禁物なのでした。

句会を終えると、もう暗くなりかけていました。
今年のカレンダーもあと2枚半。来年藍生は23周年を迎えます。

  星飛んで一周年を禱りしと   正子


                                        (髙田正子)


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by shinyurikara | 2012-10-19 15:04 | 故きを温ね  

故きを温ね(11)芝愛宕山

9月10日(月)、三田線御成門改札口に11時集合のこと。
ぷらぷら歩いて、御山にのぼります、とお知らせがありました。

  連れだつて芝の愛宕へ月のころ   正子

例によって夜行性でない私たちですから、約束はもちろん昼間の11時ですけれど。

御成門の駅は初めてです。
さてどうやって行こうかしら。

私の最寄りの駅は小田急線の新百合ヶ丘です。歩くと30分かかるので大概バスに乗ります。
新宿より東へ行くときは、東急田園都市線のほうへ出ることもあります。そのときは、たまプラーザか、あざみ野か、溝の口行のバスに乗ります。
候補が多くて便利そうに見えますが、要するにどれも100㌫当てにはできないので、毎度到着希望時刻から逆算して、遅刻しない行き方を選ぶことにしています。

加えて今日は、どこかで銀行に寄る必要が生じました。
五十日(ごとおび)ではないけれど……、後でふり返ってみますと、このあたりから思考が混線したようです。
ともあれ、銀行が混み合うことなく、事故で電車が止まることなく、9時45分、御成門到着。
おお、順調順調……あれ? 
9時45分って、10時15分前じゃない!? 

直前にルート変更をしたからなのか、選んだのが30分に1本のバス路線だったからなのか、
朝の片付けの勢いのまま、1時間早いバスに飛び乗ってしまったようです。
あああ~、吟行前に珈琲タイム。贅沢な1日の始まりです。

愛宕神社に詣るには、傾斜40度の男坂を上らねばなりません。
この男坂は、曲垣平九郎が馬で駆け上がった故事にちなみ、出世の石段とも呼ばれます。
今月末に「出世の石段祭」を控え、看板もポスターも出ていましたが、その大きな文字を見て、つい、

  「世に出る」とも「世を出る」とも……

と口走った私。朝のショックは、珈琲一杯では挽回できなかったのかもしれません。

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途中で止まるのもおそろしく、一気に上がった男坂。
男坂というものがあるからには、当然女坂もありますが、

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そんなに女らしくない気がします。
こちらは裏のほうへ下る坂。

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降りてみたら、とても素敵なお店があります。
なになに、店の名に添えて、la fromagerieですって。
その一角だけが別世界のようでした。

愛宕神社は火の神を祀っています。
今では摩天楼のような周りのビルから見おろされていますが、江戸の昔はここらで一番高い場所だったことでしょう。

  水澄んで火伏の神のお膝元  正子

日差しの強さは相変わらずでしたが、日の色にたしかな秋の到来を告げられた1日でした。


                                            (髙田正子)

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by shinyurikara | 2012-09-13 23:42 | 故きを温ね  

故きを温ね(10)祇園御霊会〈4〉京の町

2012年7月14日(土)、貴船から戻った京の町は灯の入り花。

  鉾町の夜の灯色となりにけり   正子

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これは北観音山の駒形提灯。
観音山には北と南があります。
そういえば1年目の夜は、南観音山の日和神楽について歩いたのでした。
翌日の巡行の上首尾を祈り、囃しながら町を練り歩くのです。
むんむんする京の闇の中を辻から辻へ。
1年目の記憶はそれが鮮烈です。
私の祇園会通いは、日和神楽に始まったと言えるのかもしれません。

  ひと偲ぶことに始まる鉾祭    正子
  祇園会の京都通ひに年重ね  

長刀鉾の上でも祇園囃子の稽古に余念がありません。
提灯の灯を絞り気味に、くりかえしくりかえし。

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  夜空より降る祇園会の鉦の音   正子

それにしても、宵山でもないのにすごい人です。

  土曜日の人出宵々々山の   正子

翌日15日(日)は松尾大社の御田祭を見ました。
かつて吹田市に住んでいたころ、常寂光寺や寂庵で開かれていた「あんず句会」にしばしば参りましたが、嵐山行の電車の中から、いつも仰ぐだけだった大きな鳥居を、とうとうくぐったのです。

  夏雲の湧きつぐ方や嵐山       正子
  地(ぢ)のものをのみ奉る涼しさよ  
  ずつくりと汗の植女の袖袂

夕方、京の雑踏へ戻り「杉本家」を拝観しました。
伯牙山のお飾り所のほうは以前拝見しましたが、お宅のほうの敷居を跨ぐのは初めてです。

室内は蠟燭の炎の明るさです。
この明るさ(暗さ)のせいでしょうか、おのずと低い声で話す私たちでした。
なにもかも、私の日頃の暮らしには無いものばかりですが、随所に置かれた氷柱が、印象的でした。

  氷柱にいにしへ人のやうに触る   正子
  風見布屏風祭のくらがりに
  鉾町のしきたり告ぐる京言葉

京の町はしみじみ奥が深いです。
知るのが畏しいような深さ。
故にほとぼりが醒めたころ、また行きたくなるのでしょう。
                              
                                  (髙田正子)


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by shinyurikara | 2012-08-23 13:19 | 故きを温ね  

故きを温ね(9)祇園御霊会〈3〉貴船川床

2012年7月14日(土)。

前置きが思いのほか長くなりました。
つまり毎年わいわいと楽しんでいるうちに、
同窓会は8回目を迎えていたのでした。

今年の旅は、14日~16日。
2泊もできるようになって、すっかり両手が空いたことを実感します。
17日の巡行前に帰ってしまうことになりますが、
8年の歳月が、当日に到るまでの面白さを教えてくれました。

ただ、今年はあまりに暑いので(身体にこたえるようになってきたので!)、貴船へ納涼(すずみ)に行こうということになりました。

貴船は初めてです。
和泉式部の歌で有名な、蛍の貴船。
むかしむかし、やんごとなきお方が黄の船でこの地に到達なされたことに因み、黄船、貴船となったのだとか。
「きふね」ではなく「きぶね」と濁点をつけて読むこともこの度インプットしました。
人とは無論のこと、その土地ともきちんと向き合う大切さを思います。

出町柳で叡山電車に乗り込み、貴船口で降りますと、いきなり滝のような音に包まれました。
このところの雨で貴船川がかなり増水しているようです。

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  荒梅雨の今朝に及べる貴船川   正子

この時点でかなり涼しくなりました。
バス便もありますが、お喋りをしながら、川に沿って歩いて上って行きます。

歩き始めてすぐ「蛍岩」があります。
和泉式部が〈もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る〉と詠んだあたりと伝えられています。

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竹煮草の群生。こんな感じの景色を右手に、ゆるゆる歩きます。

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  合歓の花貴船を急ぐ水の音   正子
  凌霄花鞍馬へつづく山の色

向う岸の小さい石に見える岩が「烏帽子岩」。
烏帽子に似ているのではなく、
昔、貴船神社に参拝する大宮人が烏帽子をおろして休息したところだそうです。

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山腹を這い上る木天蓼(またたび)。
車の写真ではありません。
携帯ではズームが効かず撮れませんでしたが、
まん中あたりに山法師の白い花に似て非なるものが、実はあるのです。

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木天蓼の葉は、この時期葉先が白くなります。
関西のメンバーは、山越えをすると大概見られるとおっしゃっていましたが、私は初めてでした。
私と同類の方々は半夏生草をイメージしてください。

そうこうするうちに、料亭銀座に突入。
高そうな、エラそうな、そして涼しそうな川床が見下ろせます。

  濡れてゐる一本道や鴨足草   正子

ですが、私たちの行き先はまだまだ先なのですって。
メンバーの利代子さんお薦めの店は、商売っ気が無くて素朴でリーズナブルというこちらでした。

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鴨川の川床と異なるのは、水面すれすれに坐るところです。
端に見えているのは、床の骨組部分。
水面がこんなにすぐ……。

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  水音に髪の太るよ川床納涼(ゆかすずみ)   正子

往きには気づきませんでしたが、
下流に「本日は増水のため川床は営業いたしません」と貼紙のある店もありました。
そしてこのときは知る由もありませんでしたが、
翌日貴船の住宅街が海原のようになってしまう大雨が降るのです。
のんきに歩いたこの日はまさに恩寵の1日でした。

道草をしすぎ、
貴船神社に参るのは昼ごはんのあと(どころではなく遅く)になりました。
ご神木の桂の木。

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暗いのは天気のせいばかりではないようで。

  万緑のほの明るさに水の神     正子
  灯を置いて日暮の早き川床料理

                                       (髙田正子)

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by shinyurikara | 2012-08-22 21:27 | 故きを温ね  

故きを温ね(8)祇園御霊会〈2〉祇園会の京都通いの始まりは

折に触れ、書いたり話したりしてきましたので、
「両手の会」と言うだけで、ごく身近な方々はすべてを察してくださいます。
そうそう、日経新聞に連載したエッセイにも一度書きました(2008.07.12)。
掲載予定日がちょうどその年の「同窓会」初日にあたっていたので、今年は何が見られるかしら、と、わくわくしながら書いたのでした。

 参照→新百合AOI倶楽部電子版 
      http://park19.wakwak.com/~haiku575/
      日経「耳澄ま」アーカイブ2008年の項

それとは別に、俳句誌に書かせていただいた記事を2つ見つけました。

まず、「俳壇」2006年9月号「私の宝物」(コラム名)からの抜粋。
掲載した写真も、なんと珍しいことに探し出せましたが、うまくアップロードできず、今回は写真無し。


  ~~~ ** ~~~   ~~~ ** ~~~

 私にとって宝とは、モノより人である。人との縁が何より大切と、近頃、前にもまして思う。

 その1つに大阪在住期間中にできた「両手の会」がある。同世代主婦による子連れ吟行を主たる目的とする会である。途中でメール句会に形を変えて10年に及ぶ継続は、メンバー5名の努力の賜に他ならないが、結成に到る過程で2人の先達から大きなヒントを戴いている。

 その2人とは故・飴山実氏と西村和子氏である。

 ある冬の日、飴山氏が「筍のときの人たちとはどうなった?」と尋ねられた。氏を主宰とする筍掘り句会(単発)でメンバーの何人かとすでに同席していたのだ。が、子育ての慌ただしさにかまけてそれきりになっていたことに、そのとき気づかされたのだった。また西村氏は「子育て期の俳句作りは大変だけど面白いのよ。連れていらっしゃいよ」とご自身の句会にお誘い下さったし、実践中の先輩として田中裕明・森賀まり夫妻をご紹介下さったのも氏だ。

 実際に行動を起こしたのは私たち自身であるが、さまざまな縁が交わり合って、その必然として生まれてきたものに思われてならない。

 2005年春、初めて5名揃って吟行をした(1名が当初より通信参加につき)。前年末、良き理解者だった田中さんが亡くなり、それぞれの思いを胸にあの筍山の麓に集まったのだ。山藤の盛りであった。写真は行きがかった大学生に撮ってもらった。この後まりさんがこけるというハプニングつき。

  ~~~ ** ~~~   ~~~ ** ~~~

 
この日の夜、生前田中さんが好まれた店で、少しめそめそしながらお酒を舐め(呑みではない)、「祇園祭にも行ったよね~」という話になりました。
毎年祇園祭のときに同窓会をしようよ、と思いつきを口にしたのは私です。
早速今年から、と夏に出直して行って、「ほんまに来たな」と言われましたが、
何であれ、始まりとはそういうものでしょう。

次は、今は無き、月刊だったころの「俳句研究」に3か月連載したエッセイ「俳句再考」より。2006年10月号掲載。

タイトルは「主婦のたくらみ」!

  ~~~ ** ~~~   ~~~ ** ~~~

7月16日、私は浮御堂で琵琶湖の風に吹かれていた。当初の予定では祇園祭の渦中にいて、巡行を明日に控えた山鉾を見上げているはずだったので、なんだか夢の中にいるようだった。夢のわりには強い風だったが。

神奈川に住んですでに7年になるが、大阪在住時代に子連れ吟行を共に楽(苦)しんだ「両手の会」という同世代主婦グループがある。メンバーは5名。今ではメールによる句会に完全に形を変えているが、去年から両手を空けて(子どもを連れず)吟行を始めた。

メンバーの森賀まりさんのご主人(田中裕明氏)のご逝去が、大阪と神奈川に離れ住む私たちを再び結集させたのだ。とは言え、そうしばしば会うことはできない。また、都合のよいときになどと言っていたのでは実現が覚束ない。そこで、当分の間は年1回祇園祭に、ということを思いついたのである。子どもが夏休みに入る直前の微妙な時期だけに、今は難しさもあるが、祇園祭ならば日程が読めるうえ「鎮魂」の意味合いを籠めることもできる。毎年ポイントを変えながら共に見続けていく対象として最適ではないかと考えたのだ。

そういう経緯で第2回祇園祭吟行会を企てた。更にご縁の糸にひきよせられてと言おうか、今は無き結社「ゆう」の有志の方々の句会に同席することにもなり、京都入りする前に琵琶湖の風に吹かれることになったのだった。

この短い旅の前後、家庭の都合や仕事のスケジュールが「何故よりによってこのときに?」という重なり合い方をして、目を回しかけていた。が、現役であるとはそういうことだろう。まなじりを決して確保した時間が短くても、今このとき俳句とピュアに向き合えればそれでいい。

実際、両手を空けて湖のあたりに佇もうなどとは、10年前なら考えもしなかった。それを思えば、今も現役の母とは言ってみるものの、全く趣を異にする。そしてこの現役感はこの先10年でまた激変するであろう。嬉しいような、寂しいような。

ともあれ、琵琶湖の風に祓われて佳きひとときであった。

翌日の山鉾巡行はみごとな大雨。ずぶ濡れになりながら浮かれて回った。去年は辻回し、今年は長刀鉾の稚児さんがしめ縄を切り落とすところを間近で見た。たんっ、というあの音、決して忘れない。

去年は句会をする間も惜しんで(?)歩き回ったが、今年は雨よけとはいえ句会をする余裕すらあった。メンバーの福本めぐみさんのご主人恵夢さんも加わって下さり、なかなか充実した句会だったと思う。田中さんもご存命だったら、ここにいてくださっただろうか……。

  ~~~ ** ~~~   ~~~ ** ~~~

「たくらみ」は当たり、わが家では7月半ばの土日は母不在、が不文律となっています。
たくらみをもっと増やそうと、日々たくらんでいますが、
そうこうするうちに、たくらまなくても出られるようになってしまうのでしょう。

まさに、嬉しいような、寂しいような、でありまする。
                                       (髙田正子)


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by shinyurikara | 2012-08-09 10:50 | 故きを温ね  

故きを温ね(7)祇園御霊会〈1〉「両手の会」の同窓会

祇園会の京都を訪ねるようになって、足かけ8年になります。
大阪に住んでいた頃、子どもを連れて一緒に吟行をしていた主婦仲間と、
今では同窓会のように繰り返している年中行事です。

世間はまだ夏休みではありませんから、会うのは7月中旬の土日休日にしています。
祇園会は7月1日から31日までの1か月間続く八坂神社の祭礼で、どの日に何をするかが曜日を問わず決まっています。
ですから、曜日を定めて訪ねると、毎年違った行事が見られることになるのです。

1年目の2005年は、中旬の土日が宵山と山鉾巡行の日にあたりました。
山鉾巡行は祭礼のハイライトですから、人出も最高です。

 
   鉾の稚児涼しく背を正しけり  正子

 
2年目の06年は、海の日の休日が第3月曜になったため、再び巡行を見ました。
この年はこの日までに梅雨が明けず、大雨の中を吟行しました。

   鉾の稚児雨の袂を重ねけり  正子

3年目の07年は、出かける予定の日に台風が来て新幹線が止まりました。
開通を待って翌朝京都へ発ち、その日のうちに戻ってきました。
京都への日帰りは生まれて初めてです。

   月鉾にきのふの雨のなかりけり  正子

4年目の08年は、12日に「鉾の曳き初め」、13日に「稚児社参」を見ました。

   鉾建のひとりは屋根に跳びにけり  正子

このころ私は今の携帯に替えたらしく(以来ずっと使っているということですが)、
フォルダに写真が残っていました。

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蔭のない四条通を八坂神社までついて歩きました。
ゆっくり進むので、ちょいちょいと土産物を物色しながら。
道草した店の涼しかったこと。
見物人はかように気楽ですが、馬上のお稚児さんは、動けないだけでも大変でしょう。

5年目の09年は、 10日に「神輿洗(みこしあらい)」を、11日に「鉾建て(ほこたて)」を見ました。

神輿洗は夜の神事です。
まだ飾りをつけていない神輿を八坂神社から四条大橋に運び、鴨川の水で清めます。

   祇園会の大路を祓ひゆく炎  正子

鉾建ては10日から始まります。
11日に私たちが見たのは、長刀鉾の真木(しんぎ=鉾の中央にそびえる柱)を建てるところでした。
横倒しにしたやぐらに真木を挿し、綱で引いて起こしてゆくのです。
積年の謎が解けた思いがしました。

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   長刀の日を刺す位置に到りけり  正子

6年目の10年は、同じ宿をとって宵山の真夜中に出る南観音山の「暴れ観音」に挑戦する、という予定を、すでに前年会ったときに立てていました。
  
ですが、岐阜の母の具合が思わしくなく、私はぎりぎりになって行き先を変更しました。
俳句とは遠い時間を過ごすつもりでいたところへ、欠席投句を促すメールが届きました。

   宵山の提灯に灯のそろふころ   正子

7年目の11年は、仲間たちが前年の企画をそのまま繰り返してくれました。

   宵山の月夜の道を戻りけり   正子

暴れ観音をこの目で見たことより、
皆で同じ宿へ帰る道すがら、月の光に長く伸びた私たちの影がまるで踊っているようで、
それがまたあまりに変で、心の奥深くに残っています。

そうして迎えた8年目の2012年なのでした。

                                      (髙田正子)

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by shinyurikara | 2012-08-04 17:27 | 故きを温ね  

故きを温ね(6)竹ノ塚

2012年7月7日(土)。七夕。

廣重が描いた江戸の七夕図絵にひかれて、竹ノ塚へやってきました。

東武伊勢崎線のこの駅は、乗り過ごすと次は埼玉、草加になります。
路線図の前で、束の間はるばる感にひたっておりますと、岐阜からいらしたAneさんとばったり。

「おはようございます。はるばる(!)ようこそ~」

朝の雨はあがったようです。
鈍い光の中を、初めての町へ踏み出しました。

それにしても七夕といえば雨。
旧暦の行事を新暦の生活感でとらえているのですから、ひずみがあって当然ですが、
夏なのか秋なのかという、根幹の部分が怪しくなるのが辛いところです。

  七夕の朝約束のやうに雨   正子

駅を西側に出ますと、東岳寺という、たたずまいの美しい寺があります。

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もともとは浅草にあったそうですが、今、廣重はこの地に眠っています。

  廣重の墓へ手ぶらの涼しさよ   正子

しかし墓に真向かうや否や、ぅわんと藪蚊に取り巻かれました。
手ぶらを詫びて早々に退散。
それでも何匹かは連れて出てしまったようでした。

この町には、東岳寺だけでなく、都心から数多くの寺が移ってきています。
関東大震災、東京大空襲、……おそらくそういう機縁で生まれることになったのであろう、寺町と呼ばれる一画もあります。

祀られた魂も、祀られぬままになった魂も漂っているかもしれません。
私は鈍感でしみじみよかったです。

  寺町の青水無月の石畳   正子

それにしても、七夕飾りをとんと見かけぬ1日でした。
幼稚園もありましたが、土曜日でお休み。
たぶん昨日「たなばたさま」を歌って、片づけてしまったのでしょう。

そういえば朝、駅前の昭和風の商店街を抜けるとき、花屋に小さな笹飾りがありました。
ちょうど電話がかかってきたので立ち止まったのですが、
そんなことがなければ見過ごしてしまうほど、可愛らしい笹でした。

  人待つて七夕竹と吹かれたり   正子


                                        (髙田正子)


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by shinyurikara | 2012-08-04 12:05 | 故きを温ね  

故きを温ね(5)蕗谷虹児記念館in新発田

2012年6月17日(日)。父の日。

夫も父も放って、私は新発田にいました。
夫のほうは、娘ふたりでなんとかしてくれることでしょうが、父には本日着でパジャマを手配したきり。
親不孝な娘でございます。

新発田へは、藍生の全国大会のために参りました。
当初17日は、福島潟へ行くつもりでいました。
が、急遽予定変更して、やって来たのは市内の蕗谷虹児記念館です。

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図書館の四角いビルの裏手に、変わった形の建物が見えます。それが目指す記念館でした。
瀟洒な扉を押すと「花嫁人形」のメロディが流れています。

三三九度の盃を手にする「花嫁」の絵が、入口すぐに掛かっていました。
切手にもなった有名な絵ですが、原画で見るとまるで違った印象です。
ポスターカラーでぺったり彩色されたイメージを抱いていましたが、絹布に繊細に色を重ねて仕上げられた、細密なものでした。
右目が少し腫れぼったく見えますが、伏せたまつげの先端に涙が一雫……。
虫眼鏡を手に、ぐぐーっと寄らなければ見えないほどの、かそけき雫でした。

この花嫁のモデルは、虹児が13歳のときに29歳で亡くなった実母なのだそうです。
絵を描いたとき、虹児は70歳。
ちなみに「花嫁人形」の詩を書いたのは25歳のとき。
虹児は生涯、母の面影を追っていたのかもしれません。

17歳のときに下宿先の人妻と問題を起こしたり、最初の妻と別れて娶った二度目の妻が自身の半分くらいの年齢だったり、まさに『源氏物語』の世界だと思いました。

私は女の身ゆえ、顕れ方は異なりますが、母に死なれることの痛さはわかります。
そういえば、例年6月のこの時期に開かれる全国大会へ参加するときには、かつては1日早く出て実家に寄ったものでした。

あるときは韜晦気味の母が「病人と呆け老人の住む家」などと言うものですから、

  老いてゆき青水無月を病みてゆき  正子

と詠んだこともありました。

そうなのです。
まったく予測していなかったことですが、私も母恋モードに陥ってしまったのでした。
今日感じ取ったものと波長を合わせると、いわゆる吟行句にはなりません。
まずいなあ。
なぜならこのあとの句会には、まさに吟行句が並ぶことになるに違いありませんから。

  振り向かず青水無月の夢の母   正子

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虹児はアール・ヌーボー調のペン画もたくさん遺したそうです。ペン画の絵はがきばかりを購入する私に、対応してくださった女性が、
「9月にはペン画ばかりの展示会をするのですよ。どうぞお越しください」と。

それもいいかもしれない。                
                                        (髙田正子)


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by shinyurikara | 2012-06-22 00:26 | 故きを温ね  

故きを温ね(4)堀切菖蒲園

2012年6月4日(月)。
小田急線、東京メトロ千代田線、京成線を乗り継ぎ、川を幾筋も渡って堀切菖蒲園へ行って参りました。

今年の定点観測地である生田緑地にも、入口に菖蒲園があります。
季節を問わず、ここを通って奥へ行くのが常ですが、今年は花の盛りをはずしてしまいそうだと思っていました。

伊勢菖蒲、肥後菖蒲、そして堀切菖蒲が花菖蒲の3大系統と聞きます。
おお、そのような由緒正しき地を訪ねることになろうとは。
しかも、ちょうど最初の花が咲き揃ったところのようでした。
朽ちた花は1つも無く、花の下には明日にも咲きそうな莟が整い、輝いておりました。

  次の花尖らせてゐる菖蒲かな   正子

入口すぐの一画には「一番田」と立札がありました。
私は途中で数が分からなくなりましたが、十三まで数えた人も。

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花菖蒲には、1株1株に素敵な名がつけられています。
これは「江戸紫」。

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「鶴の毛衣」というのには、少し首をかしげましたが、こうして後で見てみますと、なるほど毛衣です。

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「愛知の輝」という株も。
葉も少し黄が勝っています。
名古屋城の金のしゃちほことイメージを重ねましたが、名付け親の心はいかに。

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菖蒲園をめぐる水路には、萍がびっしり。

ふと不思議な生物の不思議なしぐさに気づき、よくよく見ますと、亀でした。
亀が直立して、前足で宙をかいているのです。
頭にも甲羅にも萍がついて、迷彩模様のようになっているので、とっさに何者かわからなかったのでした。

見とれているうちに、亀は再び水へ。
なぜ撮っておかなかったのでしょう・・・!?
それより先は、亀が気になって気になって、ずっと水路ばかり見て歩きました。

最後にやっと撮れた1枚。

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  覗き見るなら萍の合間より  正子

今日、私は何を見に行ったのでしたかしらね。         (髙田正子)

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by shinyurikara | 2012-06-06 12:11 | 故きを温ね  

故きを温ね(3)本郷

2012年5月19日(土)、本郷三丁目の駅は久しぶりです。
かつて通学に使っていたというより、
4年前、「俳句」誌の鼎談の仕事で、毎月1回、降り立った駅です。

今日は午後、春日のシビックホールに用があって出て来たのですが、
折角だからちょっと足をのばして東大に寄り、青邨先生の句碑を拝もう、
そのあと坂をどれか選んでたらたら下り、春日界隈もうろついてみよう、
という腹づもりです。
春日には、社会人になってから、ほんの少しの間住んだことがあるのです。

実は心の中には、句碑と静かに対峙する図ができていました。
ところが、あろうことか、今日は東大の五月祭初日だったのです。
雑踏をかき分けて奥まで行くのね・・・呼び込みの子どもたち(大学生のことです、もちろん)と目を合わさないようにしないとね・・・それにしても模擬店だらけだねえ・・・あ、蝶!

  雑踏の学園祭を揚羽蝶      正子
  三四郎池の湛ふる青葉闇

青邨句碑は、山上会館という会合とそれに伴う宿泊のための豪壮な建造物の庭にあります。
ここには昔、山上会議所と呼ばれる公民館風の施設があり、
毎月青邨を主宰と仰ぐ「東大ホトトギス句会」が開かれていました。

  銀杏散るまつたゞ中に法科あり  山口青邨

という青邨句碑の隣に、今はもう1つ句碑があります。

  銀杏散る万巻の書の頁より    有馬朗人

触れると、びりっときそうですが、池に抜ける道のべの植え込みはつはつに立っているので、道祖神のようにも見える2つの句碑でした。

春日へは菊坂を辿ることにしました。
下り方としてはもっとも効率が悪い、つまりそれだけ遠回りして下りていくことになります。

宮澤賢治や樋口一葉が一時住んだ所として有名な坂です。
途中から、下道と呼ばれる細い道が派生します。
家1軒分くらいのはばで段差のある2本の道が並行している具合で、
ところどころに設けられた石段で、上り下りできるようになっています。

  下道も上なる道も風薫る   正子

一葉の井戸が残っているのは下道のほう。
道を挟んで敷地いっぱいに家が建ち並び、閉ざされた窓のすぐ内側に人の気配がある住宅街ゆえ、案内板があるどころか、むしろ侵入者として、息をひそめて通らねば失礼にあたりそうです。

  菊坂をすこし迷へる薄暑かな  正子

  
今日の終点は源覚寺の閻魔堂です。
こんにゃくえんまの通称通り、お堂にはこんにゃくが山と積まれています。

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わが家の、いまだ受験生になる覚悟のできていない高校3年生のことをお願いしてしまいましたが、さて御利益はあるでしょうか!?

  閻魔堂まで汗拭いて坂下る  正子

かつて住んだマンションは、そのままの姿で健在でした。
夜遅くに帰るだけの場所でしたので、シャッターの下りた人声の無い通りしか記憶にありませんが、コンビニやコーヒーショップ、遅くまでやっていそうなレストランも出来ていて、今なら夜中も賑やかなことでしょう。

近くの公園の入口に銅像発見。

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春日局ですって。
だから「春日」か・・・と、そんなことも知らずに住んだ街でした。      


                              (髙田正子)
 
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by shinyurikara | 2012-05-21 01:25 | 故きを温ね