カテゴリ:故きを温ね( 22 )

 

故きを温ね(2)亀戸天神

2012年5月1日、はじめて亀戸天神の駅に降り立ちました。

このところ、藤棚を見かけるたび、花の具合が気になって仕方がない、という日々を過ごしてきました。
それはMayさんが、今日の藤吟行を企画してくださっていたからにほかなりませんが、
もう1つ理由があります。

隔年で定点観測吟行を行っている座間の公園近くに、立派な藤棚があります。
これだけ長く通っていながら、その花の盛りに一度もまみえたことがありません。
花も縁のモノなのです。
そう思うにつけ、ますます天神さまの藤の花が気にかかってくるのでした。

今年はすべての花が例年より遅めです。
藤の花も例外ではないようですが、かと思うと、白藤にはすでに錆が入っていたりもします。

藤より、境内を埋め尽くす人や、池で羽づくろいをする青鷺、山盛りと言うほかはない大小の亀に、まず目を奪われた私でした。

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まんまん中に青鷺がいる写真を撮ったつもり……。

また、境内の梅の木は、かつて太宰府から移植したという由緒正しきものだそうですが、
どの木も小さな実を結び始めていたのが印象的でした。

  飛梅や江東に実を結びつつ  正子

朝の土砂降りにもかかわらず、初めのうちは日差しにも恵まれた境内でしたが、
昼近く、一天にわかにかき曇り、二度目の土砂降りに見舞われました。

  あかんぼを包んで走る藤の雨  正子
  雨宿りして人親し藤の下

傘が用をなさぬほどの降りようでしたが、濡れたことで、やっと覚醒した感もあります。

吟行ではまず、その日その場所での一期一会をそのまま描写することを試みますが、
「たまたまそうだった」というだけでは物足りないこともあります。
「今」「ここで」詠むのですが、
触発されてどこまで飛べるかということも、吟行の醍醐味の1つに違いありません。

  風越えてゆく藤房をひとつづつ  正子
  水明り届く限りを藤揺るる

                                           (髙田正子)
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by shinyurikara | 2012-05-07 00:13 | 故きを温ね  

故きを温ね(1)市川真間

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2012年4月8日、まさをなる空より枝垂れている桜。
花盛りの伏姫桜に、ついにまみえることができました。

まだ見たことがない、という私の愚図愚図したエッセイを読んで、
Mayさんが「今年どうかな?」と企画してくださったのでした。
  愚図愚図はこちら → http://park19.wakwak.com/~haiku575/
                 「耳澄ま」アーカイブ2008年4月の項へ               

寒さで、草木の生育がひと月遅れの今年、桜も予想が難しく、
ならばどちらかには当たるように、と、花祭の日に予定を組みました。

8日は日曜日。
家の用事最優先で、これまでは出ないようにしてきた曜日です。
ですが、ふと見回してみると、子どもたちはそれぞれの用で朝から出かけ、残るは夫のみ。
しかも夫も、その日は午後から出かける用があるというのです。

そんなわけで、めでたく真向かった伏姫桜。
「樹齢四百年」の札は、30年前、初めて来たときと同じようです。
ということは少なく見積もっても430年……、途方もない日月です。

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びっしり花をつけている巨大な老桜と向き合っているうちに、すこしさびしくなりました。

立派に咲いているのです。
ですが、しずかすぎるのです。
ふと、岐阜県根尾の薄墨桜を思い出しました。

  縹いろうすずみいろに桜老ゆ  正子

富安風生の「しだれざくら」の名句は、昭和の初期に詠まれたものです。

     真間、伏姫桜
  まさをなる空よりしだれざくらかな  風生『松籟』昭和15年刊

今より百歳若かった桜がどんな風情であったかは知りませんが、
風生の句は、花の精気を讃えたものだったように、思えてきました。

  湧きいづる花を讃ふる句なりけり  正子

美しさにもいろいろありますが、俳句は時分の花を詠むだけのものではありません。
老桜の見せてくれた花を、しかと心にたたみたいと思います。

今日の私は、おそらく自らの加齢が条件に加わってのことでしょう、
いささかへそ曲がりな感慨にひたってしまいました。

                                     (髙田正子)
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by shinyurikara | 2012-04-09 16:01 | 故きを温ね