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てくてく武蔵野(2)古利根

新百合AOI倶楽部のメンバー有志による武蔵野吟行は、まもなく4回目に出かけようとしているところです。

最初はサイト本体にアップしていたHeroさんの吟行記も、ブログで更新していくことになりました。
私の「うらうら」と同様、リンクする形でサイトの1コーナーを構成します。
  参照→ http://tantadoru.exblog.jp/

参加の皆さまの思惑がいろいろで、メンバーの作品をリアルタイムで取り上げることは控えております。
「うらうら」では折に触れ、私の個人的な所感をてくてく記して参ります。

古利根に佇むために春日部へ向かったのは、7月26日(木)のことでした。
竹ノ塚ではるばる感にひたったのはついこの間のことでしたが、
その駅を一瞬にして通過し、降り立ったのはホームがいくつもある大きな駅でした。

片蔭とて無い時刻。
道を渡るだけで、溶けそうです。

『武蔵野探勝』に「軒先に小さい絵馬をかけてある荒物屋」とあるのはこれかな、という店の軒先に、盆飾りが出ていました。
今も荒物屋と呼べはしますが、裏手には蔵が続く大店でした。

そこを抜けるとすぐに川。
「川は遥かに北の方に現はれて、この粕壁の町裏を浸して又遥かに南の方に森の中に隠れ消えて行く。
極めてゆるやかな水の流れである。
流るゝ水の音も無い」
と佐藤漾人が80年前に記した通りの景色が広がっていました。

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  下るとも遡るとも川涼し   正子

鳰の親子を見つけてしばし暑さを忘れた話は、Heroさんのブログ参照。

  鳰の子も負はれて育つとは知らず   正子

 
80年前は「明日から祭礼」だった八幡神社にも寄りました。
今日も見事な緑蔭をなしていましたが、祭は果てた後のよう。
日盛りの道をワープするために呼んだタクシーは、奇しくも同じく3台でした。

  木洩日の木椅子を祭名残とし   正子
  三台に分乗したる油照  

タクシーの運転手氏から、街のそこここに立つ銅像のナゾは伺えましたが、ワープはあっという間に終了。
今度は「新川」沿いに、再びとぼとぼと歩きます。

川面を移りゆく刈藻屑も、藻を潜って泳ぐ村の子も、川向うの麦打も今は無く、
ただ無音の白い土手の道がまっすぐに続いているのでした。

  幻の麦打唄を川向う   正子

                                      (髙田正子)

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by shinyurikara | 2012-08-28 17:39 | てくてく武蔵野  

故きを温ね(10)祇園御霊会〈4〉京の町

2012年7月14日(土)、貴船から戻った京の町は灯の入り花。

  鉾町の夜の灯色となりにけり   正子

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これは北観音山の駒形提灯。
観音山には北と南があります。
そういえば1年目の夜は、南観音山の日和神楽について歩いたのでした。
翌日の巡行の上首尾を祈り、囃しながら町を練り歩くのです。
むんむんする京の闇の中を辻から辻へ。
1年目の記憶はそれが鮮烈です。
私の祇園会通いは、日和神楽に始まったと言えるのかもしれません。

  ひと偲ぶことに始まる鉾祭    正子
  祇園会の京都通ひに年重ね  

長刀鉾の上でも祇園囃子の稽古に余念がありません。
提灯の灯を絞り気味に、くりかえしくりかえし。

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  夜空より降る祇園会の鉦の音   正子

それにしても、宵山でもないのにすごい人です。

  土曜日の人出宵々々山の   正子

翌日15日(日)は松尾大社の御田祭を見ました。
かつて吹田市に住んでいたころ、常寂光寺や寂庵で開かれていた「あんず句会」にしばしば参りましたが、嵐山行の電車の中から、いつも仰ぐだけだった大きな鳥居を、とうとうくぐったのです。

  夏雲の湧きつぐ方や嵐山       正子
  地(ぢ)のものをのみ奉る涼しさよ  
  ずつくりと汗の植女の袖袂

夕方、京の雑踏へ戻り「杉本家」を拝観しました。
伯牙山のお飾り所のほうは以前拝見しましたが、お宅のほうの敷居を跨ぐのは初めてです。

室内は蠟燭の炎の明るさです。
この明るさ(暗さ)のせいでしょうか、おのずと低い声で話す私たちでした。
なにもかも、私の日頃の暮らしには無いものばかりですが、随所に置かれた氷柱が、印象的でした。

  氷柱にいにしへ人のやうに触る   正子
  風見布屏風祭のくらがりに
  鉾町のしきたり告ぐる京言葉

京の町はしみじみ奥が深いです。
知るのが畏しいような深さ。
故にほとぼりが醒めたころ、また行きたくなるのでしょう。
                              
                                  (髙田正子)


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by shinyurikara | 2012-08-23 13:19 | 故きを温ね  

故きを温ね(9)祇園御霊会〈3〉貴船川床

2012年7月14日(土)。

前置きが思いのほか長くなりました。
つまり毎年わいわいと楽しんでいるうちに、
同窓会は8回目を迎えていたのでした。

今年の旅は、14日~16日。
2泊もできるようになって、すっかり両手が空いたことを実感します。
17日の巡行前に帰ってしまうことになりますが、
8年の歳月が、当日に到るまでの面白さを教えてくれました。

ただ、今年はあまりに暑いので(身体にこたえるようになってきたので!)、貴船へ納涼(すずみ)に行こうということになりました。

貴船は初めてです。
和泉式部の歌で有名な、蛍の貴船。
むかしむかし、やんごとなきお方が黄の船でこの地に到達なされたことに因み、黄船、貴船となったのだとか。
「きふね」ではなく「きぶね」と濁点をつけて読むこともこの度インプットしました。
人とは無論のこと、その土地ともきちんと向き合う大切さを思います。

出町柳で叡山電車に乗り込み、貴船口で降りますと、いきなり滝のような音に包まれました。
このところの雨で貴船川がかなり増水しているようです。

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  荒梅雨の今朝に及べる貴船川   正子

この時点でかなり涼しくなりました。
バス便もありますが、お喋りをしながら、川に沿って歩いて上って行きます。

歩き始めてすぐ「蛍岩」があります。
和泉式部が〈もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る〉と詠んだあたりと伝えられています。

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竹煮草の群生。こんな感じの景色を右手に、ゆるゆる歩きます。

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  合歓の花貴船を急ぐ水の音   正子
  凌霄花鞍馬へつづく山の色

向う岸の小さい石に見える岩が「烏帽子岩」。
烏帽子に似ているのではなく、
昔、貴船神社に参拝する大宮人が烏帽子をおろして休息したところだそうです。

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山腹を這い上る木天蓼(またたび)。
車の写真ではありません。
携帯ではズームが効かず撮れませんでしたが、
まん中あたりに山法師の白い花に似て非なるものが、実はあるのです。

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木天蓼の葉は、この時期葉先が白くなります。
関西のメンバーは、山越えをすると大概見られるとおっしゃっていましたが、私は初めてでした。
私と同類の方々は半夏生草をイメージしてください。

そうこうするうちに、料亭銀座に突入。
高そうな、エラそうな、そして涼しそうな川床が見下ろせます。

  濡れてゐる一本道や鴨足草   正子

ですが、私たちの行き先はまだまだ先なのですって。
メンバーの利代子さんお薦めの店は、商売っ気が無くて素朴でリーズナブルというこちらでした。

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鴨川の川床と異なるのは、水面すれすれに坐るところです。
端に見えているのは、床の骨組部分。
水面がこんなにすぐ……。

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  水音に髪の太るよ川床納涼(ゆかすずみ)   正子

往きには気づきませんでしたが、
下流に「本日は増水のため川床は営業いたしません」と貼紙のある店もありました。
そしてこのときは知る由もありませんでしたが、
翌日貴船の住宅街が海原のようになってしまう大雨が降るのです。
のんきに歩いたこの日はまさに恩寵の1日でした。

道草をしすぎ、
貴船神社に参るのは昼ごはんのあと(どころではなく遅く)になりました。
ご神木の桂の木。

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暗いのは天気のせいばかりではないようで。

  万緑のほの明るさに水の神     正子
  灯を置いて日暮の早き川床料理

                                       (髙田正子)

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by shinyurikara | 2012-08-22 21:27 | 故きを温ね  

故きを温ね(8)祇園御霊会〈2〉祇園会の京都通いの始まりは

折に触れ、書いたり話したりしてきましたので、
「両手の会」と言うだけで、ごく身近な方々はすべてを察してくださいます。
そうそう、日経新聞に連載したエッセイにも一度書きました(2008.07.12)。
掲載予定日がちょうどその年の「同窓会」初日にあたっていたので、今年は何が見られるかしら、と、わくわくしながら書いたのでした。

 参照→新百合AOI倶楽部電子版 
      http://park19.wakwak.com/~haiku575/
      日経「耳澄ま」アーカイブ2008年の項

それとは別に、俳句誌に書かせていただいた記事を2つ見つけました。

まず、「俳壇」2006年9月号「私の宝物」(コラム名)からの抜粋。
掲載した写真も、なんと珍しいことに探し出せましたが、うまくアップロードできず、今回は写真無し。


  ~~~ ** ~~~   ~~~ ** ~~~

 私にとって宝とは、モノより人である。人との縁が何より大切と、近頃、前にもまして思う。

 その1つに大阪在住期間中にできた「両手の会」がある。同世代主婦による子連れ吟行を主たる目的とする会である。途中でメール句会に形を変えて10年に及ぶ継続は、メンバー5名の努力の賜に他ならないが、結成に到る過程で2人の先達から大きなヒントを戴いている。

 その2人とは故・飴山実氏と西村和子氏である。

 ある冬の日、飴山氏が「筍のときの人たちとはどうなった?」と尋ねられた。氏を主宰とする筍掘り句会(単発)でメンバーの何人かとすでに同席していたのだ。が、子育ての慌ただしさにかまけてそれきりになっていたことに、そのとき気づかされたのだった。また西村氏は「子育て期の俳句作りは大変だけど面白いのよ。連れていらっしゃいよ」とご自身の句会にお誘い下さったし、実践中の先輩として田中裕明・森賀まり夫妻をご紹介下さったのも氏だ。

 実際に行動を起こしたのは私たち自身であるが、さまざまな縁が交わり合って、その必然として生まれてきたものに思われてならない。

 2005年春、初めて5名揃って吟行をした(1名が当初より通信参加につき)。前年末、良き理解者だった田中さんが亡くなり、それぞれの思いを胸にあの筍山の麓に集まったのだ。山藤の盛りであった。写真は行きがかった大学生に撮ってもらった。この後まりさんがこけるというハプニングつき。

  ~~~ ** ~~~   ~~~ ** ~~~

 
この日の夜、生前田中さんが好まれた店で、少しめそめそしながらお酒を舐め(呑みではない)、「祇園祭にも行ったよね~」という話になりました。
毎年祇園祭のときに同窓会をしようよ、と思いつきを口にしたのは私です。
早速今年から、と夏に出直して行って、「ほんまに来たな」と言われましたが、
何であれ、始まりとはそういうものでしょう。

次は、今は無き、月刊だったころの「俳句研究」に3か月連載したエッセイ「俳句再考」より。2006年10月号掲載。

タイトルは「主婦のたくらみ」!

  ~~~ ** ~~~   ~~~ ** ~~~

7月16日、私は浮御堂で琵琶湖の風に吹かれていた。当初の予定では祇園祭の渦中にいて、巡行を明日に控えた山鉾を見上げているはずだったので、なんだか夢の中にいるようだった。夢のわりには強い風だったが。

神奈川に住んですでに7年になるが、大阪在住時代に子連れ吟行を共に楽(苦)しんだ「両手の会」という同世代主婦グループがある。メンバーは5名。今ではメールによる句会に完全に形を変えているが、去年から両手を空けて(子どもを連れず)吟行を始めた。

メンバーの森賀まりさんのご主人(田中裕明氏)のご逝去が、大阪と神奈川に離れ住む私たちを再び結集させたのだ。とは言え、そうしばしば会うことはできない。また、都合のよいときになどと言っていたのでは実現が覚束ない。そこで、当分の間は年1回祇園祭に、ということを思いついたのである。子どもが夏休みに入る直前の微妙な時期だけに、今は難しさもあるが、祇園祭ならば日程が読めるうえ「鎮魂」の意味合いを籠めることもできる。毎年ポイントを変えながら共に見続けていく対象として最適ではないかと考えたのだ。

そういう経緯で第2回祇園祭吟行会を企てた。更にご縁の糸にひきよせられてと言おうか、今は無き結社「ゆう」の有志の方々の句会に同席することにもなり、京都入りする前に琵琶湖の風に吹かれることになったのだった。

この短い旅の前後、家庭の都合や仕事のスケジュールが「何故よりによってこのときに?」という重なり合い方をして、目を回しかけていた。が、現役であるとはそういうことだろう。まなじりを決して確保した時間が短くても、今このとき俳句とピュアに向き合えればそれでいい。

実際、両手を空けて湖のあたりに佇もうなどとは、10年前なら考えもしなかった。それを思えば、今も現役の母とは言ってみるものの、全く趣を異にする。そしてこの現役感はこの先10年でまた激変するであろう。嬉しいような、寂しいような。

ともあれ、琵琶湖の風に祓われて佳きひとときであった。

翌日の山鉾巡行はみごとな大雨。ずぶ濡れになりながら浮かれて回った。去年は辻回し、今年は長刀鉾の稚児さんがしめ縄を切り落とすところを間近で見た。たんっ、というあの音、決して忘れない。

去年は句会をする間も惜しんで(?)歩き回ったが、今年は雨よけとはいえ句会をする余裕すらあった。メンバーの福本めぐみさんのご主人恵夢さんも加わって下さり、なかなか充実した句会だったと思う。田中さんもご存命だったら、ここにいてくださっただろうか……。

  ~~~ ** ~~~   ~~~ ** ~~~

「たくらみ」は当たり、わが家では7月半ばの土日は母不在、が不文律となっています。
たくらみをもっと増やそうと、日々たくらんでいますが、
そうこうするうちに、たくらまなくても出られるようになってしまうのでしょう。

まさに、嬉しいような、寂しいような、でありまする。
                                       (髙田正子)


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by shinyurikara | 2012-08-09 10:50 | 故きを温ね  

故きを温ね(7)祇園御霊会〈1〉「両手の会」の同窓会

祇園会の京都を訪ねるようになって、足かけ8年になります。
大阪に住んでいた頃、子どもを連れて一緒に吟行をしていた主婦仲間と、
今では同窓会のように繰り返している年中行事です。

世間はまだ夏休みではありませんから、会うのは7月中旬の土日休日にしています。
祇園会は7月1日から31日までの1か月間続く八坂神社の祭礼で、どの日に何をするかが曜日を問わず決まっています。
ですから、曜日を定めて訪ねると、毎年違った行事が見られることになるのです。

1年目の2005年は、中旬の土日が宵山と山鉾巡行の日にあたりました。
山鉾巡行は祭礼のハイライトですから、人出も最高です。

 
   鉾の稚児涼しく背を正しけり  正子

 
2年目の06年は、海の日の休日が第3月曜になったため、再び巡行を見ました。
この年はこの日までに梅雨が明けず、大雨の中を吟行しました。

   鉾の稚児雨の袂を重ねけり  正子

3年目の07年は、出かける予定の日に台風が来て新幹線が止まりました。
開通を待って翌朝京都へ発ち、その日のうちに戻ってきました。
京都への日帰りは生まれて初めてです。

   月鉾にきのふの雨のなかりけり  正子

4年目の08年は、12日に「鉾の曳き初め」、13日に「稚児社参」を見ました。

   鉾建のひとりは屋根に跳びにけり  正子

このころ私は今の携帯に替えたらしく(以来ずっと使っているということですが)、
フォルダに写真が残っていました。

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蔭のない四条通を八坂神社までついて歩きました。
ゆっくり進むので、ちょいちょいと土産物を物色しながら。
道草した店の涼しかったこと。
見物人はかように気楽ですが、馬上のお稚児さんは、動けないだけでも大変でしょう。

5年目の09年は、 10日に「神輿洗(みこしあらい)」を、11日に「鉾建て(ほこたて)」を見ました。

神輿洗は夜の神事です。
まだ飾りをつけていない神輿を八坂神社から四条大橋に運び、鴨川の水で清めます。

   祇園会の大路を祓ひゆく炎  正子

鉾建ては10日から始まります。
11日に私たちが見たのは、長刀鉾の真木(しんぎ=鉾の中央にそびえる柱)を建てるところでした。
横倒しにしたやぐらに真木を挿し、綱で引いて起こしてゆくのです。
積年の謎が解けた思いがしました。

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   長刀の日を刺す位置に到りけり  正子

6年目の10年は、同じ宿をとって宵山の真夜中に出る南観音山の「暴れ観音」に挑戦する、という予定を、すでに前年会ったときに立てていました。
  
ですが、岐阜の母の具合が思わしくなく、私はぎりぎりになって行き先を変更しました。
俳句とは遠い時間を過ごすつもりでいたところへ、欠席投句を促すメールが届きました。

   宵山の提灯に灯のそろふころ   正子

7年目の11年は、仲間たちが前年の企画をそのまま繰り返してくれました。

   宵山の月夜の道を戻りけり   正子

暴れ観音をこの目で見たことより、
皆で同じ宿へ帰る道すがら、月の光に長く伸びた私たちの影がまるで踊っているようで、
それがまたあまりに変で、心の奥深くに残っています。

そうして迎えた8年目の2012年なのでした。

                                      (髙田正子)

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by shinyurikara | 2012-08-04 17:27 | 故きを温ね  

故きを温ね(6)竹ノ塚

2012年7月7日(土)。七夕。

廣重が描いた江戸の七夕図絵にひかれて、竹ノ塚へやってきました。

東武伊勢崎線のこの駅は、乗り過ごすと次は埼玉、草加になります。
路線図の前で、束の間はるばる感にひたっておりますと、岐阜からいらしたAneさんとばったり。

「おはようございます。はるばる(!)ようこそ~」

朝の雨はあがったようです。
鈍い光の中を、初めての町へ踏み出しました。

それにしても七夕といえば雨。
旧暦の行事を新暦の生活感でとらえているのですから、ひずみがあって当然ですが、
夏なのか秋なのかという、根幹の部分が怪しくなるのが辛いところです。

  七夕の朝約束のやうに雨   正子

駅を西側に出ますと、東岳寺という、たたずまいの美しい寺があります。

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もともとは浅草にあったそうですが、今、廣重はこの地に眠っています。

  廣重の墓へ手ぶらの涼しさよ   正子

しかし墓に真向かうや否や、ぅわんと藪蚊に取り巻かれました。
手ぶらを詫びて早々に退散。
それでも何匹かは連れて出てしまったようでした。

この町には、東岳寺だけでなく、都心から数多くの寺が移ってきています。
関東大震災、東京大空襲、……おそらくそういう機縁で生まれることになったのであろう、寺町と呼ばれる一画もあります。

祀られた魂も、祀られぬままになった魂も漂っているかもしれません。
私は鈍感でしみじみよかったです。

  寺町の青水無月の石畳   正子

それにしても、七夕飾りをとんと見かけぬ1日でした。
幼稚園もありましたが、土曜日でお休み。
たぶん昨日「たなばたさま」を歌って、片づけてしまったのでしょう。

そういえば朝、駅前の昭和風の商店街を抜けるとき、花屋に小さな笹飾りがありました。
ちょうど電話がかかってきたので立ち止まったのですが、
そんなことがなければ見過ごしてしまうほど、可愛らしい笹でした。

  人待つて七夕竹と吹かれたり   正子


                                        (髙田正子)


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by shinyurikara | 2012-08-04 12:05 | 故きを温ね  

鎌倉あるき(3)松葉谷(まつばがやつ)の紫陽花

2012年6月29日。

10時から逗子海岸で海開きの神事があると聞き、はりきって早起きをしました。
案内人のJuneさんによると、浜辺にパイプ椅子が並べられ、神主さんが海に向かってお祓いをし、そのあと綺麗な女性が現れてフラダンスを見せる行事とのことですが、やはり一度行ってみたいではありませんか。

なにしろ海の無い県に生まれ育った私です。
海は夏休みの匂いがします。
魅惑的で、そして未知の世界、ゆえに畏しい存在なのです。

ところが、小田急線が遅れ、さらに東海道線が乱れていました。
藤沢のホームで落ち合ったJuneさんの判断で海開きは諦め、鎌倉駅に降り立ちました。

さあ、今日はどこへ行くのでしょう。

涅槃会に訪ねた妙本寺を抜け、八雲神社で修学旅行の一団をやり過ごし、
躑躅で有名な安養院にさしかかりますと、山門に板東三十三観音第三番札所とあります。
ということは、「藍生」の連衆がかつて板東吟行で訪れた寺ということです。

西国、四国、板東、秩父と「藍生」でずっと続いていた観音霊場をめぐる吟行企画も、本年みごとに満行となりました。
西国の第1回は、ときおり雪片の舞う石山寺でした。
もう20年も昔のことです。
当時私は大阪に住んでいましたが、そのときが長女出産(前年8月)後のはじめての遠出でしたから、数字に間違いはありません。

核家族の母親にとってこの企画への参加は、切望しつつも簡単ではありませんでした。
なにしろ赤ん坊が成人してしまうほどのロングラン企画です。
同行できていたら、どんなにかすばらしかったことでしょう。
今、晴れやかな主宰とご一行のお顔を仰ぎ見ながら、切ない不信心者なのであります。

「うらうら」の起ち上げは偶然のなりゆきではありましたが、
書き継ぐことが、我が手に戻ってきた時間を吟行にささげる証にもなる、と、
今更ですが気づいた次第です。

山門の外から礼をして安養院を過ぎ、国道を逸れて谷戸の奥つ方へ。
小流れに橋をかけた瀟洒な家が建ち並んでいます。

何の変哲も無さそうな流れですが、螢が出ることもあるのだとか。
そう聞いて、俄然見る目の変わる私でした。

  白南風や一家に一つ小さき橋   正子
  螢か或いはもののふの魂か     

道に迷ったりもして行き着いた先は妙法寺。
鎌倉の苔寺と呼ばれる寺です。
ここは、安房から来た日蓮上人が初めて庵を結んだ地と伝えられます。

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苔のきざはし。下に見えるのは仁王門です。

  苔の花濡れて光るを一生(ひとよ)とす   正子

私たちが着いたとき、奥から現れたひとりとすれ違いましたが、それきり誰にも会いませんでした。
  
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お隣の安国論寺。紫陽花の花盛りでした。               (髙田正子)



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by shinyurikara | 2012-08-03 23:55 | 鎌倉あるき