てくてく武蔵野(3)御嶽渓谷

1999年に起ち上げた新百合AOI倶楽部は、
学齢期の子どもたちの日常に合わせ、
学校が長期休暇に入れば当然のようにお休みとなりました。
いつしか子らは皆おとなになりましたが、
暑さがこたえるようになったおとなたちのために、8月はやはりお休みであり続けているのでした。

ではありますが、8月29日(第5水)、
HEROさんがタブー破りの吟行計画を立ててくれました。
行先は御嶽渓谷。
この春、オオカミをたずねて山上を目ざし、やってきたところです。

集合場所は川井。
御嶽の1つ先の駅です。
さらに1つ先は鳩ノ巣。東京のメンバーが「遠足で来たわ」と懐かしがっていました。

  石走る仙人草を車窓より   正子

予定の電車を降り立った一行は11人。
あれ? 幹事のHEROさんだけがいません。
後でわかったことですが、そのころHEROさんは、沢井(御嶽の1つ手前)で「誰も降りてこない!!」と1人焦っていらしたのでした。

だって、案内に川井ってあったんだもーん。
沢井で降りていたら、澤乃井で利き酒ができたんですって。まあ残念。

というわけで、お互いに御嶽を目ざして歩くことになりました。

ひとり黙々と上流を目ざすHEROさんと、大勢で気ままに下る私たち。
どちらが早く御嶽に着くでしょうか……なんてことは火を見るより明らかで、御嶽に着いたHEROさんは更に上流を目ざすことに。
いえね、私たちも水際の道に降りられるまでは、せっせと歩いていたのですよ。

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川井と御嶽のほぼ中間地点で、上流を見たところ。

さすがに御嶽にはファミレスの類が無いので、
HEROさんは句会場として旅館の1室を確保してくださっていました。
予約の時刻まであと1時間ほど。

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しずかに句作に励む人も、水辺に降りて裸足になる人も。
私は岩鼻に坐り込んで、ときどき居眠りながら、とんぼを見る人になりました。

  赤とんぼとどまる高さ飛ぶ高さ   正子
  水澄んでいつか身に棲む水の音

旅館へは渓谷から急坂をのぼります。
句会場は2階の、川に臨む1室でした。

お子さまタイムから抜け出せない私たちは、今日も日のあるうちにここを去ります。
でもいつかきっと。

  川に向く窓開け放つ星月夜   正子

そのときには利き酒もね。
                                (髙田正子)


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# by shinyurikara | 2012-09-02 11:16 | てくてく武蔵野  

てくてく武蔵野(2)古利根

新百合AOI倶楽部のメンバー有志による武蔵野吟行は、まもなく4回目に出かけようとしているところです。

最初はサイト本体にアップしていたHeroさんの吟行記も、ブログで更新していくことになりました。
私の「うらうら」と同様、リンクする形でサイトの1コーナーを構成します。
  参照→ http://tantadoru.exblog.jp/

参加の皆さまの思惑がいろいろで、メンバーの作品をリアルタイムで取り上げることは控えております。
「うらうら」では折に触れ、私の個人的な所感をてくてく記して参ります。

古利根に佇むために春日部へ向かったのは、7月26日(木)のことでした。
竹ノ塚ではるばる感にひたったのはついこの間のことでしたが、
その駅を一瞬にして通過し、降り立ったのはホームがいくつもある大きな駅でした。

片蔭とて無い時刻。
道を渡るだけで、溶けそうです。

『武蔵野探勝』に「軒先に小さい絵馬をかけてある荒物屋」とあるのはこれかな、という店の軒先に、盆飾りが出ていました。
今も荒物屋と呼べはしますが、裏手には蔵が続く大店でした。

そこを抜けるとすぐに川。
「川は遥かに北の方に現はれて、この粕壁の町裏を浸して又遥かに南の方に森の中に隠れ消えて行く。
極めてゆるやかな水の流れである。
流るゝ水の音も無い」
と佐藤漾人が80年前に記した通りの景色が広がっていました。

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  下るとも遡るとも川涼し   正子

鳰の親子を見つけてしばし暑さを忘れた話は、Heroさんのブログ参照。

  鳰の子も負はれて育つとは知らず   正子

 
80年前は「明日から祭礼」だった八幡神社にも寄りました。
今日も見事な緑蔭をなしていましたが、祭は果てた後のよう。
日盛りの道をワープするために呼んだタクシーは、奇しくも同じく3台でした。

  木洩日の木椅子を祭名残とし   正子
  三台に分乗したる油照  

タクシーの運転手氏から、街のそこここに立つ銅像のナゾは伺えましたが、ワープはあっという間に終了。
今度は「新川」沿いに、再びとぼとぼと歩きます。

川面を移りゆく刈藻屑も、藻を潜って泳ぐ村の子も、川向うの麦打も今は無く、
ただ無音の白い土手の道がまっすぐに続いているのでした。

  幻の麦打唄を川向う   正子

                                      (髙田正子)

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# by shinyurikara | 2012-08-28 17:39 | てくてく武蔵野  

故きを温ね(10)祇園御霊会〈4〉京の町

2012年7月14日(土)、貴船から戻った京の町は灯の入り花。

  鉾町の夜の灯色となりにけり   正子

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これは北観音山の駒形提灯。
観音山には北と南があります。
そういえば1年目の夜は、南観音山の日和神楽について歩いたのでした。
翌日の巡行の上首尾を祈り、囃しながら町を練り歩くのです。
むんむんする京の闇の中を辻から辻へ。
1年目の記憶はそれが鮮烈です。
私の祇園会通いは、日和神楽に始まったと言えるのかもしれません。

  ひと偲ぶことに始まる鉾祭    正子
  祇園会の京都通ひに年重ね  

長刀鉾の上でも祇園囃子の稽古に余念がありません。
提灯の灯を絞り気味に、くりかえしくりかえし。

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  夜空より降る祇園会の鉦の音   正子

それにしても、宵山でもないのにすごい人です。

  土曜日の人出宵々々山の   正子

翌日15日(日)は松尾大社の御田祭を見ました。
かつて吹田市に住んでいたころ、常寂光寺や寂庵で開かれていた「あんず句会」にしばしば参りましたが、嵐山行の電車の中から、いつも仰ぐだけだった大きな鳥居を、とうとうくぐったのです。

  夏雲の湧きつぐ方や嵐山       正子
  地(ぢ)のものをのみ奉る涼しさよ  
  ずつくりと汗の植女の袖袂

夕方、京の雑踏へ戻り「杉本家」を拝観しました。
伯牙山のお飾り所のほうは以前拝見しましたが、お宅のほうの敷居を跨ぐのは初めてです。

室内は蠟燭の炎の明るさです。
この明るさ(暗さ)のせいでしょうか、おのずと低い声で話す私たちでした。
なにもかも、私の日頃の暮らしには無いものばかりですが、随所に置かれた氷柱が、印象的でした。

  氷柱にいにしへ人のやうに触る   正子
  風見布屏風祭のくらがりに
  鉾町のしきたり告ぐる京言葉

京の町はしみじみ奥が深いです。
知るのが畏しいような深さ。
故にほとぼりが醒めたころ、また行きたくなるのでしょう。
                              
                                  (髙田正子)


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# by shinyurikara | 2012-08-23 13:19 | 故きを温ね  

故きを温ね(9)祇園御霊会〈3〉貴船川床

2012年7月14日(土)。

前置きが思いのほか長くなりました。
つまり毎年わいわいと楽しんでいるうちに、
同窓会は8回目を迎えていたのでした。

今年の旅は、14日~16日。
2泊もできるようになって、すっかり両手が空いたことを実感します。
17日の巡行前に帰ってしまうことになりますが、
8年の歳月が、当日に到るまでの面白さを教えてくれました。

ただ、今年はあまりに暑いので(身体にこたえるようになってきたので!)、貴船へ納涼(すずみ)に行こうということになりました。

貴船は初めてです。
和泉式部の歌で有名な、蛍の貴船。
むかしむかし、やんごとなきお方が黄の船でこの地に到達なされたことに因み、黄船、貴船となったのだとか。
「きふね」ではなく「きぶね」と濁点をつけて読むこともこの度インプットしました。
人とは無論のこと、その土地ともきちんと向き合う大切さを思います。

出町柳で叡山電車に乗り込み、貴船口で降りますと、いきなり滝のような音に包まれました。
このところの雨で貴船川がかなり増水しているようです。

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  荒梅雨の今朝に及べる貴船川   正子

この時点でかなり涼しくなりました。
バス便もありますが、お喋りをしながら、川に沿って歩いて上って行きます。

歩き始めてすぐ「蛍岩」があります。
和泉式部が〈もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る〉と詠んだあたりと伝えられています。

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竹煮草の群生。こんな感じの景色を右手に、ゆるゆる歩きます。

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  合歓の花貴船を急ぐ水の音   正子
  凌霄花鞍馬へつづく山の色

向う岸の小さい石に見える岩が「烏帽子岩」。
烏帽子に似ているのではなく、
昔、貴船神社に参拝する大宮人が烏帽子をおろして休息したところだそうです。

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山腹を這い上る木天蓼(またたび)。
車の写真ではありません。
携帯ではズームが効かず撮れませんでしたが、
まん中あたりに山法師の白い花に似て非なるものが、実はあるのです。

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木天蓼の葉は、この時期葉先が白くなります。
関西のメンバーは、山越えをすると大概見られるとおっしゃっていましたが、私は初めてでした。
私と同類の方々は半夏生草をイメージしてください。

そうこうするうちに、料亭銀座に突入。
高そうな、エラそうな、そして涼しそうな川床が見下ろせます。

  濡れてゐる一本道や鴨足草   正子

ですが、私たちの行き先はまだまだ先なのですって。
メンバーの利代子さんお薦めの店は、商売っ気が無くて素朴でリーズナブルというこちらでした。

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鴨川の川床と異なるのは、水面すれすれに坐るところです。
端に見えているのは、床の骨組部分。
水面がこんなにすぐ……。

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  水音に髪の太るよ川床納涼(ゆかすずみ)   正子

往きには気づきませんでしたが、
下流に「本日は増水のため川床は営業いたしません」と貼紙のある店もありました。
そしてこのときは知る由もありませんでしたが、
翌日貴船の住宅街が海原のようになってしまう大雨が降るのです。
のんきに歩いたこの日はまさに恩寵の1日でした。

道草をしすぎ、
貴船神社に参るのは昼ごはんのあと(どころではなく遅く)になりました。
ご神木の桂の木。

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暗いのは天気のせいばかりではないようで。

  万緑のほの明るさに水の神     正子
  灯を置いて日暮の早き川床料理

                                       (髙田正子)

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# by shinyurikara | 2012-08-22 21:27 | 故きを温ね  

故きを温ね(8)祇園御霊会〈2〉祇園会の京都通いの始まりは

折に触れ、書いたり話したりしてきましたので、
「両手の会」と言うだけで、ごく身近な方々はすべてを察してくださいます。
そうそう、日経新聞に連載したエッセイにも一度書きました(2008.07.12)。
掲載予定日がちょうどその年の「同窓会」初日にあたっていたので、今年は何が見られるかしら、と、わくわくしながら書いたのでした。

 参照→新百合AOI倶楽部電子版 
      http://park19.wakwak.com/~haiku575/
      日経「耳澄ま」アーカイブ2008年の項

それとは別に、俳句誌に書かせていただいた記事を2つ見つけました。

まず、「俳壇」2006年9月号「私の宝物」(コラム名)からの抜粋。
掲載した写真も、なんと珍しいことに探し出せましたが、うまくアップロードできず、今回は写真無し。


  ~~~ ** ~~~   ~~~ ** ~~~

 私にとって宝とは、モノより人である。人との縁が何より大切と、近頃、前にもまして思う。

 その1つに大阪在住期間中にできた「両手の会」がある。同世代主婦による子連れ吟行を主たる目的とする会である。途中でメール句会に形を変えて10年に及ぶ継続は、メンバー5名の努力の賜に他ならないが、結成に到る過程で2人の先達から大きなヒントを戴いている。

 その2人とは故・飴山実氏と西村和子氏である。

 ある冬の日、飴山氏が「筍のときの人たちとはどうなった?」と尋ねられた。氏を主宰とする筍掘り句会(単発)でメンバーの何人かとすでに同席していたのだ。が、子育ての慌ただしさにかまけてそれきりになっていたことに、そのとき気づかされたのだった。また西村氏は「子育て期の俳句作りは大変だけど面白いのよ。連れていらっしゃいよ」とご自身の句会にお誘い下さったし、実践中の先輩として田中裕明・森賀まり夫妻をご紹介下さったのも氏だ。

 実際に行動を起こしたのは私たち自身であるが、さまざまな縁が交わり合って、その必然として生まれてきたものに思われてならない。

 2005年春、初めて5名揃って吟行をした(1名が当初より通信参加につき)。前年末、良き理解者だった田中さんが亡くなり、それぞれの思いを胸にあの筍山の麓に集まったのだ。山藤の盛りであった。写真は行きがかった大学生に撮ってもらった。この後まりさんがこけるというハプニングつき。

  ~~~ ** ~~~   ~~~ ** ~~~

 
この日の夜、生前田中さんが好まれた店で、少しめそめそしながらお酒を舐め(呑みではない)、「祇園祭にも行ったよね~」という話になりました。
毎年祇園祭のときに同窓会をしようよ、と思いつきを口にしたのは私です。
早速今年から、と夏に出直して行って、「ほんまに来たな」と言われましたが、
何であれ、始まりとはそういうものでしょう。

次は、今は無き、月刊だったころの「俳句研究」に3か月連載したエッセイ「俳句再考」より。2006年10月号掲載。

タイトルは「主婦のたくらみ」!

  ~~~ ** ~~~   ~~~ ** ~~~

7月16日、私は浮御堂で琵琶湖の風に吹かれていた。当初の予定では祇園祭の渦中にいて、巡行を明日に控えた山鉾を見上げているはずだったので、なんだか夢の中にいるようだった。夢のわりには強い風だったが。

神奈川に住んですでに7年になるが、大阪在住時代に子連れ吟行を共に楽(苦)しんだ「両手の会」という同世代主婦グループがある。メンバーは5名。今ではメールによる句会に完全に形を変えているが、去年から両手を空けて(子どもを連れず)吟行を始めた。

メンバーの森賀まりさんのご主人(田中裕明氏)のご逝去が、大阪と神奈川に離れ住む私たちを再び結集させたのだ。とは言え、そうしばしば会うことはできない。また、都合のよいときになどと言っていたのでは実現が覚束ない。そこで、当分の間は年1回祇園祭に、ということを思いついたのである。子どもが夏休みに入る直前の微妙な時期だけに、今は難しさもあるが、祇園祭ならば日程が読めるうえ「鎮魂」の意味合いを籠めることもできる。毎年ポイントを変えながら共に見続けていく対象として最適ではないかと考えたのだ。

そういう経緯で第2回祇園祭吟行会を企てた。更にご縁の糸にひきよせられてと言おうか、今は無き結社「ゆう」の有志の方々の句会に同席することにもなり、京都入りする前に琵琶湖の風に吹かれることになったのだった。

この短い旅の前後、家庭の都合や仕事のスケジュールが「何故よりによってこのときに?」という重なり合い方をして、目を回しかけていた。が、現役であるとはそういうことだろう。まなじりを決して確保した時間が短くても、今このとき俳句とピュアに向き合えればそれでいい。

実際、両手を空けて湖のあたりに佇もうなどとは、10年前なら考えもしなかった。それを思えば、今も現役の母とは言ってみるものの、全く趣を異にする。そしてこの現役感はこの先10年でまた激変するであろう。嬉しいような、寂しいような。

ともあれ、琵琶湖の風に祓われて佳きひとときであった。

翌日の山鉾巡行はみごとな大雨。ずぶ濡れになりながら浮かれて回った。去年は辻回し、今年は長刀鉾の稚児さんがしめ縄を切り落とすところを間近で見た。たんっ、というあの音、決して忘れない。

去年は句会をする間も惜しんで(?)歩き回ったが、今年は雨よけとはいえ句会をする余裕すらあった。メンバーの福本めぐみさんのご主人恵夢さんも加わって下さり、なかなか充実した句会だったと思う。田中さんもご存命だったら、ここにいてくださっただろうか……。

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「たくらみ」は当たり、わが家では7月半ばの土日は母不在、が不文律となっています。
たくらみをもっと増やそうと、日々たくらんでいますが、
そうこうするうちに、たくらまなくても出られるようになってしまうのでしょう。

まさに、嬉しいような、寂しいような、でありまする。
                                       (髙田正子)


                  ♪ 
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# by shinyurikara | 2012-08-09 10:50 | 故きを温ね