8月21日(水)。
粘りつく暑さの中、11名ものメンバーが時刻通りに集合。
相鉄線鶴ヶ峰駅は、自動車教習所で有名(?)な二俣川の隣駅です。
相鉄線、初めて乗ったよ
二俣川って遠い所だと思っていたのに、こんなに近くて驚いた
沿線の方々に叱られそうなことを口々に、みんな朝から元気です。
そういう私も、家の者から、
そこ武蔵野なの?
と言われて出て来ましたが、かの『武蔵野探勝』に該当回を担当した赤星水竹居も、
「武蔵野探勝と云っても、此頃は……云はば関八州を横行して探勝することになったが、……」(畠山重忠公霊堂 昭和9年8月5日)
と記しています。
水竹居記すところの「相模の盆地」を、今日は鎌倉の昔を偲びつつ歩くのです。
それにしても一歩一歩に道が溶けそう。
昨日より気温が下がると予報が出ていたはずなのに。
↓幹事のHeroさんが探してくださった地図
http://www.city.yokohama.lg.jp/asahi/madoguchi/chishin/chikatsu/pdf/asahisanpo3-1.pdf
標だけになった「首洗い井戸」「鎧の渡し」を通過し、「首塚」に手を合わせ、
「さかさ矢竹」では吹き上がってくる川風に少しだけ涼んで、またとぼとぼと歩きます。
ぴくりともしない蒸し暑い空気にとうとう音を上げ、
ちょうど見えてきたコミュニティハウスで休ませていただくことに。
道を逸れて下っていくと、
プールがあるぞ
幼稚園のプールかな
あ、おとなもいる
おじさんが、見えたものをいちいち言葉にするのは、どうしたわけでしょう。
私は、自分が子どもだったころや、自分の子が幼かったころのことを思い出しましたけれど。
プールよりプールサイドのママが好き 正子
そして到った「薬王寺」。
ここには六ツ塚と呼ばれる6つの土饅頭があります。
畠山重忠公と付き随った130余騎が葬られているそうです。
境内に大きな塚が1つと小ぶりな塚が2つ、小径を隔てた木立の中に3つ、
……6つの塚は肩を寄せ合っているのかと思っていましたがそうでもなく、
また土饅頭そのものは、
六塚や皆夏草の土饅頭 水竹居
と詠まれた昭和9年当時と、おそらくは同じさまであろうと思われました。
ここから句会場となる「白根地区センター」までが、またうねうねと遠いのですが、
ときどきいちめんの葛の葉に少し風が立ってくることもあって……。
街道をずんずん逸れてさやけしや 正子
たどり着いたセンターは下手に「白糸の滝」があり、それが虚子たちが「ポトポト歩い」て向かった「不動滝」であろうとHeroさんが言います。
奇しくも私たちは必然があって歩いてしまいましたが、
虚子ご一行の句会場は薬王寺だったのですから、
滝を見て帰り路のこと思ひけり 拓水
倒れずによくも歩きぬ暑き道 虚子
とは、まことにむべなるかな。
「滝と云つてもホンの名ばかりで、横幅は少し広いが、つまり一間半位の高さの崖を水がすべり落ちるまでのことで誠に他愛もなき眺めであった」(水竹居)
と記された滝。
80年経った今はどうなっているでしょう。
道を渡ると水音が急に近づいてきます。
「滝音」ではないなあと思いつつも、茹だった耳には十分に心地良く、足が速まります。
水音のやや涼しきを滝と呼び 正子
80年前には「学生達が沢山来てキャムプをしてゐた」り、「滝水に打たれに来たり滝前のお堂に籠りに来たりする人が絶間なき模様であつた」といいます。
愛され方は昔とは違うかもしれませんが、土地の人が大切に「滝」と呼ぶ水に合掌。
帰りがけにもう一度覗いてみたら、なんと翡翠が!
枝から水際へ、さらに滝の上へ跳んでしばらく佇み、森の奥へ飛び去りました。
あらら、違うモードで撮ってしまったようです。
さっきまでこの隙間に翡翠がいました。
やっぱりありがたき滝なのでした。 (高田正子)
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